ひとす@PNG
2010年1月パプアニューギニアに派遣された青年海外協力隊・理数科教師の活動記
3/20 地震

学校は復活して2週間経ちました。
授業忙しすぎ。。
一日一ページ、数学の授業ハンドアウトを配るというのをやっている。(後に教科書としてまとめる予定。)
これがきつい。一年もつのか!?まぁ、しかし、勉強全っ然わかっとらんやつがおるのを放ったらかすわけにはいかん。やっぱり勉強あっての学校やし、勉強についていけん奴は学校おもしろくないし、悪いこととか、どうでもいいことしてる。今までいろいろ回り道してきたが、やっぱり、生徒にちゃんと勉強教えることが俺の一番の使命やと感じてきた。やれること全部やろう。

 

話は変って、日本の地震について。

パプアにもTSUNAMIが来て、大きくはないが被害が出た。私は山だが、海沿いの隊員は非難していたらしい。

ニュースや新聞にも日本の様子が連日報道されている。原発の放射能漏れを懸念しているようだ。

さて、ラバウルでは2週間後、日本の震災被害者ためのファンドレイジング(基金集め)パーティが開かれことになった。

主催者は中国人の商店経営者で、私達ボランティアにもお声が掛かかった。ゲート係やバーテンのというお手伝いの他に、日本の様子をプロジェクターで写したり、日本の歌を歌うことになった。

入場料約3500円でチケット300枚を売るそうだ。さらに個人の募金も含めて約200万弱集まる予定だそうだ。

この主催者は日本にお世話になった友人がいるらしいので、なんとか力になりたいということを言っていた。それも、個人としてではなく、ラバウルのコミュニティーとして。

ラバウルには今も中国人が多く住むが、昔はもっとたくさんいて、チャイナタウンもあったらしい。1994年の火山噴火でラバウルが埋まった時にほとんどが故郷へ帰ったらしく、残った人たちが、今の人たち。
そのときのココポはココナツとブッシュだけの未開の土地。家もない、道路もない、パプアの政府はなにもしてくれない。そんな中、道路、飛行場、ラジオ局、病院の建設が日本の支援で行われたのだ。

っていう話を中国人の旦那をもつ日本人女性から聞いたのをふと思い出した。

困ったときはお互い様ってことだ。

先日、パプア政府からも日本に支援金が送られたそうだ。

中国人もパプア人も日本人も

みんな助け合って生きとるんやな。

世界のどこかで起きてることは直接見えないし、聞こえないし、感じれない。が、確かに世界はつながってる。

地震発生後数日、家にこもって授業準備に明け暮れているとき、
新聞もテレビもネットも見てなかった。目で情報を確認できないのは想像力がいる。新聞やネットは少しだけ見たが、昨日、ココポに降りたときに見たNHK。そこですごい実感が沸いた。

私にできることは、とりあえず、ファンドレイジング成功させることだ。

3/1 Unpredictable Country PNG

さて、気付けばもう3月。(ブログさぼりまくってすみません。汗

新タームの持ち授業は

G9  数学(1クラス)週5コマ
G10 コンピューター週8コマ
G11 コンピューター週10コマ
G12 コンピューター週8コマ

授業のカリキュラムきつきつで、休み時間もないので、移動はダッシュ。

数学はPNGの指定の教科書が人数ないのでオーストラリアからの寄付された教科書1冊を3人でシェアして使わせている。

小テストやってみたが20点満点、中平均点8.3点。

ちなみに範囲は分数の四則演算とパーセントの問題。小5レベル。

0点、1点、2点の生徒多数。入学試験どうなってんねん。

俺が必死に走りまわっとる一方で授業に出てない先生がいる。
そういうの見るとはぁ~?ってなる。

てかそもそも先生の数が全然足りてない。9人抜けて来たの4人って。今各校の校長が会議で人事異動してる最中だそうです。遅いよ。

入学式なんてもんはないし、先生の着任式、退任式、花束贈呈、涙でお別れなんてもののない。

気付いたら、先生がいない。俺の仲良かった先生もいつの間にかいなくなっている。

椅子も机も今さらチェックして全然足りない。

生徒もまだ全員集まってない。

時間割も変更しまくり。自習ばっか。ぐだぐだ~~~。

クリスマスホリデイ2ヶ月もあったのになにしてたの??

さ・ら・に、WEEK3途中にして

学校封鎖

昨年Term4に続いて2度目。なんかもう慣れてきなこういうの。

原因はポンプの故障。

水を地下から吸い上げるメインポンプが雷によって壊れたのだ。

生徒は全員自宅待機。

教師達は自分の家に備え付けの雨水タンクでなんとか暮らしている。

ちなみに私の家のタンクは近隣住民によって民衆浴場と化したので使えない。

緊急事態なので校長が小さいタンクを買ってくれた☆

水を分けてもらって、今なんとか暮らしてます。

水は生活で最も大事なものだとつくづく思う。

ちなみに同州の某セカンダリースクール、近隣住民に押し入られ、学校の備品、パソコン、机などがすべて奪われ学校封鎖したそうです。

 

人はこの国をこう呼ぶ。

Unpredictable Country PNG !

 

1/19 中間報告会、分科会

1/17~1/19 マダンにて年2回行われる、隊員総会、中間報告会、分科会などが行われた。

中間報告会

スキンヘッドで気合を入れ、望んだ中間報告会。

協力隊やっぱすげぇわ!!

感染症対策、理学療法士、コンピューター技術、村落開発・・・・

みんなスペシャリストだ。

プレゼン能力ももちろん、中身が濃い。個人の専門的な知識、スキルに加え、『調査→計画→準備→実行→評価』という流れがしっかりしていて安定感がある。さらに新しいことへ挑戦するという、ボランティアならではの開拓精神が見られた。すべての発表に釘付けであった。

「日本の青年もまだまだ捨てたモンじゃない。」とSV(シニアボランティア)の方が関心しておっしゃっていました。この方、ハーバード大学でドクター取って、日本でベンチャー起こした方で、説得力があったし、ちょっと嬉しかった。

 s-IMG_8071

理数科分科会

今回はコンピューター隊員と共に分科会を行った。

総勢15人、新隊員6人。その中にSV2名。

セッション担当者として次回のセッション開催の話し合いの司会を務めた。

新隊員と言ってもみな社会人経験が何年もある人で、自分が若造だった。ちなみにSVは本当にすごい経歴の方たちで、一人は先ほどの社長。もうひとりは現役高校教師で、海外勤務3回目。

皆言うことが鋭くて、緊張した。

次回総会時にみんなで勉強会をすることになった。このメンバーの中で責任者をやるのはちょっと自分には荷が重いが、いい経験になりそうだ。


さて派遣から一年が経った。

ちょっと振り返ってみる。

初めての海外生活、初めてのコンピューターの授業、学校で起こる様々な事件に戸惑い、頭の中にはアイデアがたくさんあるのに、自分の本当に進む道が定まらず、実行できないでいた。

機をうかがっているうちに、自分の価値観が「現地人の考え」に同調していく、モチベーションも色褪せた。学校は次から次にやって来るイベントの準備で慌しく動き、こちらの要求や提案は「OK」の返事のみで放置される。

これが最初の一年だった。

今年はまず自分の一番苦手とする「計画を立てる」ことから始めて、計画に添って 着実に自分の出来ることをひとつずつやっていきたい。

ちなみに今考えてるのはこんな感じ。


1、学校のシステム改善
現在保留されているタイムテーブル改善について、もう一回配属先と話し合う。PCMの提案。同期が作成した事務作業効率化のためのいくつかのエクセルデータファイルを導入。

2、数学の学力向上
テキスト、練習問題、授業用マテリアル、掲示物を作成し、同僚と共有する。数学科の教師でワークショップを開催する。

3、コンピューターの知識、実践的なスキルUP
サーバーを作り、生徒のファイルを一元管理。PCテキスト、自己学習素材、学校紹介、教師紹介、ボランティア紹介、個人のページなどのコンテンツを作り、ブラウザで表示できるようにする。PCテキストの他校への配布。小学校教師対象のインサービスの実施。

日本語クラスは校内のWeb上でテキストを更新していく形にする。

1/19 マダン

総会等の隊員の恒例行事ででマダンという街に行ってきた。

デンジャラスマダン!?

総会は本来、首都のPOMで行われるのだが、治安悪化のため、開催地がパプア第3の都市マダンに変更された。異例の出来事だ。

てかマダンも危ないんすけど・・・。マンギー吠えてますよ?

総会中も隊員が街を歩いていると前から歩いてきた二人組みにピックポケットされたという。

この街、ピックポケットは当たり前。石を投げられた、となりの店に銃で武装した賊が押し入ったなどの報告が多数ある。

昨年、マダン隊員に起こった恐ろしい事件がある。マンギーの集団に「お前はロバートか?」と聞かれ「違う」と答えるとボコボコにされるということがあった。犯人は捕まったが罰金たったの8000円で釈放。

JOCV犯罪被害率、全国NO1のパプアニューギニア。(派遣国中で)
犯罪が多い理由は多々あるが、犯罪者側のリスクが少ないのは大きな要因である。

ビューティフルマダン!?

マダンはゴミのポイ捨て禁止、花壇踏み越え禁止などの法律があり、キャッチネームはビューティフルマダン。

残念ながら「これが花壇か?」というような花壇。うっかりまたいでしまったら大変!罰金だ。

大きなゴミ山が匂うマーケット。椅子も屋根もないバス停。本当にビューティフル?

綺麗なのは海!パプアでも有数のダイビングスポット。ホテルに併設されているダイブショップのボスは女性インストラクター、日本人!!11年も住んでて、ブアイは噛むわ、ピジンはペラペラだわ、めっちゃ馴染んでる。マダン中の人が知ってる人気者。

余談だがパプア在住の日本人は7人くらいらしい。今まで5人会った。

それからマダンといえば木に群がる無数のフルーツバット。巨大コウモリ。午前は木にぶら下がってギャーギャー騒ぎ、夕方になると空を埋め尽くす。バッサバッサ飛ぶ姿は鷹や鷲のよう。

マダンにはガジュマルの木というバカデカイ木が立ち並んでいる。ラピュタのモデルになったとされていて、ツタや根っこや枝が絡みあっていてお化けのようだ。

忘れちゃならないマダンのシンボル、カリボボ灯台

ヤシの木よりも高い真っ白な塔。その形も芸術的。

第二次大戦中、日本軍の航空機や艦船を監視し、連合軍に通報していたオーストラリア軍沿岸監視隊の活躍を記念した灯台。戦死した監視員の名前が刻まれている。

残念ながら街中の写真は治安が悪いのでナシ。

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これはホテルの庭に放し飼いされているカンムリバト。頭がエライことになってます。

2/1 ヴィレッジステイ in マダン

総会終了後、マダンを観光しようと思い、チケットをキャンセルして滞在を10日間延期した。

しかし、マダンは予想以上に治安が悪く、外は自由に歩けない。しかも、ホテルのツアーやダイビングに申し込むには人数が必要だという。

あてにしていたマダンのボランティアの家にも泊まれず、途方に暮れていた。

そんな時、たまたまホテルの従業員と仲良くなり、彼の村、”バホール村”でホームステイすることになった。IMG_8108

彼の名はアーノルド。7人の兄弟の長男。

同じ集落には弟の家族や親戚などとがいてみんなごちゃまぜで仲良くにぎやかに暮らしている。

みなフレンドリーで、やさしい。「お前は家族だ」「ずっと住め」と言う。

途方にくれていた私にとってとても嬉しい言葉だった。

3日ほどのつもりが、結局10日間一緒に暮らした。

日程をざっくりと紹介。

1日目 ビルビル村のシンシンを見る。 IMG_8363

クンドゥー(太鼓)を鳴らしながら、輪を描いて歌う。頭には船を模した飾りをかぶっている(ダンボール製)。体に赤い染料を塗っている。強そう。


2日目 おばあちゃんのところへ行く。

おばあちゃんは第二次大戦経験者。マダンは日本軍が最初に上陸した場所で日本の本部が置かれたところだ。日本軍は村の食い物を荒らし、人々をこき使い、逆らうものは撃ち殺した。友達が何人も殺されたのだという。空からは爆弾が降ってきて、家も畑もなくなったという。言葉が出なかった。涙が出た。

そんな酷い目にあったにもかかわらず、こうして日本人の私を家族と言って迎えてくれている。「日本人は好きだ。許す。」と言う。

こっちでは小さな子供でも知っていることを日本人は知らない。パプアという国さえ知らない人もいる。そんなんでいいんだろうか。日本の学校で何を学んだんだろう。この話をきいてどうすることも出来なかった私はこれを日本に伝える使命感を感じた。

 IMG_9404 畑の奥の奥にある洞穴。日本軍から隠れるためのもの。

 IMG_9421  その近くにある硫黄の臭いのする冷泉。不思議な雰囲気が漂う。


3日目 始めてブアイを食べる。クレイポット作りを見る。 IMG_9588 ブアイとは?・・・熱帯地方の嗜好品。
①ヤシ科の実「ブアイ」
②貝をすりつぶした粉「カンバン」(石灰)
③木の芽「ダカ」
を一緒に噛むと化学反応を起こし赤く変色し陶酔感を味わえる。
パプアでは子供から大人までみんなやってます。
初トライした感想。
「一瞬歯に電気が走った。エグっマズっい。陶酔感なんて感じない。」
歯を大事にしたいのでもうやりません。

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ビルビル村はパプアでは珍しいクレイポット(土器)を作る村だ。

バホールとビルビルはすぐ隣の村。でも元々違う民族で言語が違う。

バホールは土地があるのでブアイやイモを売って金にする。
ビルビルは土地が無いのでクレイポットで観光客を呼び金にする。

だからバホールはビルビルのクレイポットは作らない。

すぐ隣なのにパクらないんだなぁ。
金儲けや合理性を求めるどっかの人とは違うな。と思った。

お互いの文化を尊重し、自分達の文化を守る。だからパプアはいまだに800以上の言語が残っているんだろう。ちなみにこの言語数世界の言語数の1割以上を占める。人口はたった600万人。

4日目 裁判所へ行く。 弟が殺人犯に仕立て上げられたらしい。
         散々待たされた挙句、延期。裁判所もパプアタイム。
5日目 マロロ (休憩)

IMG_9778 
海でワスワス。砂で体をワッシムする。歯もワッシム。ジョリジョリ・・。

6日目 大きな川の河口へ行く。鶏をさばく。
7日目 ガリム村のシンシンを見に行く。 ビルビルと同じタイプ。
8日目 ハーバークルーズに行く。(別行動していたJVとツアーで)。
9日目 サンデースクール(キリスト教の勉強)を見る。
10日目 タウンで買い物、最後の晩餐。 IMG_847610日間という長い間、気を使うことなく食べて、寝て、遊んだ。自由にさせてもらった。家族の一員のように。

ママが出発の朝、急に泣き出すのでこっちももらい泣きした。空港もほとんどの兄弟が見送りに来てくれた。妹のデリーラはマラリアになって高熱でてんのに来てくれた。くぅ~やっぱりみんないい人だぁ。

マダンが治安が悪いのは最近になってから。ハーゲンやレイといいう都市から犯罪者が流れてきたんだそうだ。

本当のマダン人はみんないい人ばかり。そして村の中は色とりどりの花や蝶、どこまでも続く砂浜、青い海。家の並びや道もココポ、ラバウルよりも全然綺麗。

本当のビューティフルマダンは村の中にあったのだ。

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