ひとす@PNG
2010年1月パプアニューギニアに派遣された青年海外協力隊・理数科教師の活動記
2/18 ようこそラバウルへ!

 

ラバウル

東ニューブリテン州(通称ENB)は、ニューギニア本島の東に浮かぶニューブリテン島の東半分をしめます。

州都であるココポはその北東端に位置し、PNG でも有数の町であり、また島嶼地域では最大の町でもあります。古くは隣町のラバウルが州都でしたが、1994 年のタブルブルはじめ三つの火山が大噴火を起こしたことで街が壊滅、州都はココポへと移転した歴史があります。

rabaul

ラバウルは、南太平洋でも有数の良港を持ち、その美しい町並みから「南太平洋の真珠」とも言われていました。現在では、一部は町として復興したものの、旧市街地は今もなお火山灰の下に埋もれている状態です。

そう、灰の街ラバウル!現在私はそこにいます!

ちょっと前は2人の隊員がラバウルに住んでいましたが、火山の噴火によりココポに避難しました。火山は今も生きていて、しょっちゅう噴火して、火山灰が降ってくるそうです。たまたま私が来た今は火山は落ち着いているようです。煙はモクモク上がってるけど・・・。

ラバウルのホント埋もれちゃってる街にはまだ行ってないけど、ここも灰がたくさんあり、PMV乗り場や道路で巻き上がって、煙たい><

いつまた噴火するか分からない、そんなスリル満点のラバウルに住めるのはラッキーなのか、アンラッキーなのか・・・。でも、ラバウルハーゲンとかPOMよりは全然治安よさそうだし、マーケットもいい感じだし、平和でのどか。

あと、ラバウルは、第二次大戦中に日本海軍の一大根拠地であった歴史があり、日本とも大変にゆかりのある土地。しかも激戦地でたくさんの人が無くなったらしい。今も慰霊団が日本からたくさん訪れている。「ラバウル小唄」という戦争中の唄、俺は最近知ったけど、日本のおじいちゃん世代は皆知っているらしい。パプアの人も知ってるとか・・・。

そしてラバウルには大戦中の遺構が数多く残っている。街の中の道端に戦車があった。学校に行く途中にはいくつも防空壕が。飛行機のプロペラなんかも転がっている。かつてここに2 万人もの日本人が生活していたそうだ。ラバウルの街の人も日本軍の話をしてくる。

そんなところに自分がいて、それを目で見たり、耳で聞いたり・・・歴史を肌で感じる。本当に戦争ってあったんだなぁ。日本っていろんなとこに出兵してたんだなぁ。と初めて実感。

パプア人の日本のイメージはというとすごくいい。パプアの車は9割が日本製だ。TOYOTA、三菱、日産、松田・・・丈夫で長持ち。どんだけ乗ってんねん!!ていうくらいボロボロだけどちゃんと動く。日本車なくして今の彼らの生活は成り立たない。 日本製品はすばらしい!というのをいつも言われる。
JICAやOISCAなどのボランティアやNGOも皆結構知っている。意外と日本に行ったことのあるパプア人も多く、日本はいいとこだね~と言う。 日本人はパプアのこと全然知らないのにパプア人は日本のことちゃんと知ってるんだよな・・・。日本はもっと外国のこと知らんとだめだ。


日本に好感を持っているパプア人。しかし、今日こんなことが・・・。

学校の帰り、PNVで少年と話していると『日本人は戦時中、教会の神父を殺したんだ。日本人はキリスト教が嫌いだからね。』という話をしてきた。少年はニコニコしていたが、俺には衝撃的だった。

パプアの人たちは熱心なキリスト教信者で、家の中にはキリストグッズであふれている。「I LOVE JEASUS」というTシャツとか帽子など・・・。食べる前、寝る前、授業の終わり、神にお祈りする。土曜は必ず教会に行きお祈り。聖歌を朝から昼過ぎまで歌ったりしている。俺の学校もカトリックの学校で、教会からきれいな歌声が聞こえる。

そんなパプアの人たちが愛しているキリスト教を…

日本は戦争中、パプアの人と仲良くやっていたという話を聞く。しかし、戦争で亡くなったパプア人もいれば、日本軍の元で働かされていたパプア人もいる。日本がパプアを戦争に巻き込んだのは事実。戦後、日本の援助で空港や病院が作られた。俺たち協力隊も一種の戦後補償なのだろう。

この2年間しっかり働いて帰ろう。そう思った。

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